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仙台高等裁判所 昭和36年(ネ)187号 判決

一審原告 国

国代理人 真鍋薫 外三名

一審被告 吾妻重吉

主文

第一審原告、第一審被告の本件各控訴をいずれも棄却する。

控訴費用中、第一審原告の控訴によつて生じた分はこれを第一審原告の負担とし、第一審被告の控訴によつて生じた分はこれを第一審被告の負担とする。

事実

昭和三六年(ネ)第一四八号事件被控訴人同年(ネ)第一八七号事件控訴人第一審原告(以下単に第一審原告という。)代理人は、右第一前記第一四八号事件控訴人同第一八七号事件被控訴人第一審被告(以下単に第一審被告という。)は、第一審原告に対し、金四〇万円およびこれに対する昭和三四年二月九日から支払済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも、第一審被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を、同第一四八号事件につき、控訴棄却の判決をそれぞれ求め、第一審被告代理人は、右第一四八号事件につき、「原判決中第一審被告敗訴の部分を取り消す。第一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも、第一審原告の負担とする。」との判決を、同第一八七号事件につき、控訴棄却の判決をそれぞれ求めた。

当事者双方の主張並びに証拠の提出、援用、認否は、

第一審原告代理人が、

一、原判決二枚目裏三行目に「左膝関節部膜力感」とあるのは、「左膝関節部脱力感」の誤りであるから、そのように訂正する。

二、第一審原告の本件事故が発生しなかつた場合の就労可能年数は、最小限度満七五歳までである。

三、(一) 原判決四枚目表一一行目に「西側半分」とあるのは、「東側半分」の誤りであるから、そのように訂正する。

(二) 本件事故発生当時、事故発生地点から北方三〇米の間の道路上にはなんらの障碍物がなく、同地点から北方二七〇米の間の道路東側には盛土があつて、この北方道路上に徐行標があつた。また、本件事故発生地点の南方一四〇米の地点道路東側にバリケードがあつて、これから北方一〇〇米の間の道路東側半分は、道路面が掘さくされ、その北側にバリケードがあつた。

(三) 本件事故発生当時、第一審原告は、道路工事に従事していたのであるが、道路工事に従事中の者が逐一通行の車馬に注意しなければならないものとすれば、工事の進行は阻害され、周倒なるべき注意力は滅殺されて、完全な工事の施行は不可能となることが明らかである。そして、それ故にこそ、本件においては、工事現場付近の各所にその標示をし、かつ、小宮山崇之に赤旗を所持させていたのであるから、かかる措置をとつた以上、工事従事者としてはすでに充分な措置を講じたものであつて、本件事故の発生については、第一審原告になんらの過失はない。また道路工事に従事中の者は、工事の必要に応じて随時に動作し移動するのが普通であるから、自動車の運転に従事する者としては、この点を充分に考慮すべきことは当然であつて、第一審原告が工事に従事中後退したことを責めるのは当らない。

と述べた。

第一審被告代理人は、

一、第一審原告主張の前記一および三の(一)の各事実をいずれも認める。

二、第一審原告の前記二の主張を争う。第一審原告らの如き六五歳以上の高齢者が道路工事に従事することは、極めて稀な事例であるから、かかる異例の事実を損害額算定の基礎の一となすべきではない。

三、(一) 第一審原告主張の前記三の(二)の事実中、バリケードが二個所にあつたこと(ただし、その位置は分らない。)および道路面が掘さくされていたことは、いずれも認めるが、その余は否認する。本件事故発生当時、第一審原告主張の盛土並びに徐行標は存在しなかつた。また道路の掘さくは、本件事故発生当日開始されたものであつて、右事故発生当時は、その掘さく部分は、極めて小範囲であつた。

(二) 道路工事に従事中の者であつても、その道路を通行する車馬の運行に注意すべきことはいうまでもない。本件事故発生当時、事故現場付近の道路は、工事のため、一方交通の措置が講じられ、右道路を南方から北方に向つて通行することは禁じられていたが、北方から南方に向う車馬の通行は禁止されていなかつたから、右道路を北方から南方に向つて通行する車馬のあることは、当時、第一審原告において、これを現認し、充分諒知していたのである。しかるに、第一審原告は、右の如く一方交通の措置のとられた道路上のほぼ中央部に西方に向つて佇立していたのであるが、通行の許されている車道内に移動するに際し、その北方道路上に北方から南方に向う車馬の通行の有無を予め確かめておれば、本件事故の発生を防止し得たにもかかわらず、その北方道路上を南方に向つて進行していた本件自動車を確かめることなく、突然後向のまま東方に向けて通行の許されていた車道内に後退したため、本件事故が発生したものであつて、右は、第一審原告の重大な過失によるものであるから、このことは、本件の財産上並びに精神上の損害賠償額を定めるに当つて充分に斟酌されるべきである。なお、小宮山崇之は、本件事故発生当時、第一審原告主張の如き赤旗または赤い布を所持していなかつた。また、小宮山崇之「第一審原告は、いずれも、当時ポールを手にしていなかつた。

と述べた。

理由

一、本件不法行為の成立、第一審原告の傷害の部位、程度、その治療期間中並びに治療期間後(第一審原告の残存就労可能年数に関する部分を含む。)の財産上の損害額について、当裁判所は、つぎのとおり付加するほか、原審とその事実の確定並びに法律判断を同じくするから、原判決理由中この点に関する記載(原判決七枚目表五行目から同一一枚目表一一行目の「金七三万二、八〇七円となる」まで)を引用する(ただし、原判決一〇枚目裏七行目の「足りるから、」と「原告の残存就労可能年数は、」との間に「以上の事実に当裁判所が真正に成立したものと認める乙第一号証を総合して考えると、」を挿入し、同一一枚目表七行目に「後に述べるように」とあるのを削除する。)。そして、当審において提出、援用された証拠中右認定を左右するに足りるものはない。

二、(一) 第一審原告は、事実摘示二の如く主張するが、甲第九号証、原審証人佐藤義一の証言および原審並びに当審における第一審原告本人尋問の結果をもつてしては、いまだ第一審原告の右主張事実を認めしめるに足りないし、他にこれを認めしめるべき証拠がないから、第一審原告の右主張は採用できない。

(二) また、第一審被告は、事実摘示二の如く主張する。そして、成立に争いのない乙第二号証によると、昭和三〇年度における年齢六五歳以上の男子の建設業就業者の割合は、全体の一・六パーセントであつたことを認めることができるが、これは、昭和三〇年度における現実の建設業就業者の割合であるにすぎないものであるから、これのみにもとづいて特定人である第一審原告の残存就労可能年数を決すべきものとは考えられないのみならず、さきに引用した甲第七号証に前認定の本件事故発生の日が昭和三一年八月一五日であつて、第一審原告は、当日まで日本道路株式会社に臨時雇として勤務し、右事故発生当時現に就業中であつた事実を総合すると、第一審原告は、満六五歳を経過した本件事故発生当日まで現実に就労していたことを認めることができるし、また当審における第一審原告本人尋問の結果によつてその成立を認め得る甲第九号証によると、技術者の中村靖が病気のために辞職した満七四歳まで右会社に勤務したことを認めることができ、同会社では技術者が不足しており、臨時雇には年齢の制限がなく、第一審原告が本件事故発生当日まで非常に健康であつて、なお相当期間勤務を継続するつもりでいたこと、第一審原告の残存就労可能年数は、昭和三三年一二月二九日以降満四年であることは、さきに認定したとおりであるから、第一審被告の主張は採用できない。

三、そこで、第一審被告の過失相殺の主張について判断する。

(一)  前認定の本件交通事故の事実に、成立に争いのない甲第一ないし五号証(ただし、第三号証は一部)、原審証人小宮山崇之、佐藤清(一部)、細川三男人、原審並びに当審における証人高橋功三(一部)の各証言、原審における検証の結果(第一、二回)および原審における第一審原告本人尋問の結果(一部)を総合すると、本件現場付近は、その北方約二〇〇米の道路上の地点から見透し可能の状況にあり、本件事故発生当日から、日本道路株式会社の請負にかかる道路舗装工事のため、付近の道路の一部東側半分の掘さくが開始され、そのため、一方交通の制限措置が講じられて、右道路を南方から北方に向つて通過する車馬の通行は禁じられていたが、北方から同道路上西側を通過して南方に向う車馬の通行は禁止されておらず、その通行は自由であつたこと、それで、右道路上を南方から北方に向う車馬のあることは考えられなかつたけれども、北方から南方に向つて通過する車馬のあることは当然予測し得たこと、本件事故現場付近における右工事施行前の車馬の交通量は、平均一日につき約一、〇〇〇台程度であつたこと、本件事故発生当時における右事故現場付近の状況は、道路の一部東側半分の路面が掘さく中であり(このことは、当事者間に争いがない。)、この掘さく部分を中間にさしはさんだ南北の道路上東側二箇所にバリケードが設置されて(バリケードが二箇所に設置されていたことは、当事者間に争いがない。)、この部分の車馬の通行は事実上遮断されていたけれども、右の部分の西側には車馬の通行に支障をきたすような特段の障碍物はなく、この部分の車馬の通行は自由であつたこと、そして、さらにその南方および北方並びにその中間バリケード付近その他の箇所に、一方交通および工事中なる旨の標識並びに徐行標が設置されていたこと、また、右事故現場付近に盛土があつたが、これはその上を人車が通行し得る程度のものであつて、特に車馬の通行に支障をきたすものではなく、さらに、同現場から北方五〇米位の地点西側道路上にローラーがあつたが、当時、注水のためエンジンを止めていたこと、本件事故発生直前における第一審原告の動静は、莇記道路工事の現場監督として、右事故現場付近の道路上ほぼ中央部に位置し、西向きとなつて、杭に危険標識を付するための赤色の布および測量用ボールを所持し東向きに立つていた工事係の小宮山崇之と約一米の間隔をへだてて、右道路工事の測量につき佇立対談中であつたこと、しかるに、第一審原告は、右の如く道路工事の現場監督として、当時、一方通行の交通制限のため、右道路を南方から北方に向つて通行する車馬はないけれども、北方から南方に向つて同道路上西側を通過する車馬のあることを知悉していながら、同道路を通過しようとする車馬の側においてあらゆる事故防止の措置をとるものと軽信して、小宮山崇之から右ボールを受け取り、測量指示のため前記佇立地点から車馬の通行の許されていた右道路西側車道内に移動するに際し、同所道路上の北方から南方に向つて同現場付近を通過しようとしている車馬の有無を確かめず、そのため、時速を約一〇粁に減じ、第一審原告の前記佇立地点の背後である通行の許されている同所道路西側を通過しようとして北方から南方に向つて進行してきた高橋功三の運転する本件大型自動四輪車に気付かないで、後向きのまま、やや俯向き加減で、前記佇立地点から車馬の通行の許されていた同所道路上西側に漫然と約一米後退したため、その後退を知つて急停車の措置をとつたけれども間にあわなかつた右自動四輪車に接触し、その場に転倒して、本件事故を惹起せしめたことをそれぞれ認めることができ、これに反する甲第三号証の記載、前記証人佐藤清、高橋功三の各証言および原審における第一審原告本人尋問の結果は、前記の各証拠に照らして信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。

そして、道路舗装工事のため、路面が掘さく中であり、そのためにバリケードが設置され、交通制限の措置が講じられて、諸所に工事中および交通制限中なる旨の標識が設置され、工事関係者が危険標識用の赤色の布または測量用ボールを所持し、工事用機械が置かれていて、一見して道路工事中であることを識別し得る場合であつても、道路の片側面のみが掘さく中であつて、右のバリケードも、工事中の片側路面上にのみ設置され、この片側部分の車馬の通行は事実上遮断されていたが、その反対側の路面の通行は事実上自由であり、交通制限も、一方通行の措置であつて、全面的に車馬の通行が禁止されたわけではなく、一の方向に向う車馬の通行は禁じられていたが、工事中の側と反対側の路面を右と反対方向に向つて通過する車馬の通行は許されており、前記標識も工事中なる旨のもののほか、一方通行なる旨のものおよび徐行標にすぎない場合においては、同工事に従事中の者といえども、一の方向に向う車馬の通過の許されている反対側路面上に移動しようとするに際しては、右の方向に向い通行の許されている路面を通過しようとして進行して来る車馬の有無を確かめ、その安全を確認したうえで、はじめて移動し、事故の発生を未然に防止すべきが当然であるものと解すべきところ、右の認定事実によると、本件交通事故は、第一審原告が、前記道路工事の現場監督として、北方から南方に向つて右道路上西側を通過する車馬のあることを知悉しながら、同道路を通過しようとする車馬の側においてあらゆる事故防止の措置をとるものと軽信し、北方から南方に向う車馬の有無を確かめず、そのため、本件自動四輪車に気付かないで、後向きのまま、やや俯向きに、前記佇立地点から慢然と後一米後退して、車馬の通行の許されていた同所道路上西側車道内にはいつたために、発生したものと認めるのを相当とするから、右は、第一審原告の過失によるものといわなければならない。

ところが、第一審原告は、原判決事実摘示(原判決四枚目表一〇行目から同裏一三行目まで)および事実摘示三の(一)ないし(三)の如く、本件交通事故による第一審原告の受傷については、高橋功三にそのすべての過失の責が存し、第一審原告にはなんらの過失はないと主張する。そして、本件現場付近の見透し状況交通量、本件事件発生当日並びに発生当時における右現場付近の状況および本件事故発生直前における第一審原告の動静は、前認定のとおりであり、さらに、前認定事実に三の(一)冒頭記載の各証拠(ただし、甲第三号証、証人佐藤清の証言は、その一部)を総合すると、高橋功三は、前記の如く佇立対談中の第一審原告をその北方数十米の地点で発見したが、右佇立地点付近が工事中であり、第一審原告が同工事に従事中の者であつて、西向きのまま対談中であることを知りながら、その背後である同所道路上東側を通過しようとするに際し、前記の如く単にその速度を時速約一〇粁に減じたのみで、響音器を吹鳴せず、第一審原告が本件自動四輪車の進行に気付いており、前記佇立地点から他に移動することはないものと軽信して、なおその東側には運行の余地が残されていたのに、漫然とそのまま第一審原告の背後たる東側をさしたる間隔をへだてることなく運転進行して、同所道路を通過しようとしたため、前記の如く、本件自動四輪車の進行に気付かないでいた第一審原告が後向きのまま後退して来るのを現認し、急速急停車の措置をとつたが間に合わず、右自動四輪車をわずか一米余後退した第一審原告の身体に接触させ、これを転倒させて、本件事故を惹起したことを認めることができ、これに反する甲第三号証の記載および前記証人佐藤清の証言は、前記の各証拠に照らして信用できないし、他に右認定を覆えすに足りる証拠は存しない。およそ、自動車の運転に従事する者は、通過しようとする道路の片側半分が工事中であつて、一方通行の措置がとられており、その道路の中央部付近に工事従事者が佇立して余所向きのまま他と対談中である場合においては、その者は、工事の必要に応じて随時移動するのが普通であり、工事並びに交通制限に関する標識の存するが故に、もはや危険はないものと軽信し、ややもすると、車馬の通行の有無を顧ることなく、勢い車馬の通行の許されている路面上に移動することもあり得ることであつて、このことは当然予測し得べきところであるから、右の佇立者の動向に細心の注意を払つて、自動車を徐行させるのみならず、警音器を吹鳴して佇立者の注意を喚起し、同人が自動車の進行に気付いたことを確かめ、自動車の安全な運行継続を確認したうえで、右の佇立地点付近の通行の許されている道路上を通過し、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるものと解すべきところ、右の認定事実によると、本件事故による第一審原告の前記受傷は、高橋功三が、右の注意義務を怠り、本件事故現場付近の道路が工事中であり、第一審原告が右工事に従事中の者であつて、西向きのまま対談中であることを知りながら、その背後たる同所道路上東側を通過しようとするに際し、単に徐行したのみで、警音器を吹鳴せず、第一審原告が本件自動四輪車の進行に気付いており、前記佇立地点を移動することはないものと軽信して漫然とそのまま第一審原告の背後をさしたる間隔をへだてることなく通過しようとしたことに基因するものと認めるのを相当とするから、右は高橋功三の過失によるものといわなければならない。しかし、第一審原告の本件事故による第一審原告の受傷については第一審原告になんらの過失はないとの主張は、前認定の本件事故発生当日並びに事故発生当時における右事故現場付近の状況、本件事故発生直前における第一審原告の立場並びに動静にもかかわらず、前認定の如き事実関係のもとにおいては、工事従事者たる第一審原告にも前記の如き注意義務があり、これを怠つて前認定の如き行動をとつた第一審原告にもまた過失の存することは、前記のとおりであるから、これを採用することはできない。

(二)  また、第一審被告は、原判決事実摘示(2) の如く、本件事故の発生については、小宮山崇之にも過失があり、同人の過失は、とりもなおさず被害者たる第一審原告側の過失であると主張する。しかし、本件事故の発生につき、仮りに小宮山崇之に第一審被告主張の如き過失があつたとしても、前記証人小宮山崇之の証言によると、小宮山崇之は、第一審原告と同様、日本道路株式会社に雇われて、本件道路工事に従事した者であることが明らかであり、かつ、本件道路工事につき第一審原告が現場監督の地位にあり、小宮山崇之が工事係の立場にあつたことは、前認定のとおりであるから、他に特段の事情の認められない本件においては、小宮山崇之は、右道路工事につき、第一審原告の監督に服すべき立場にあつたものと認めるのを相当とするところ、小宮山崇之並びに第一審原告がともに日本道路株式会社に雇われた同会社の雇用人であつたことは、前認定のとおりであるから、他に特段の事情の認められない本件においては、小宮山崇之は、本件道路工事については、前記の如く、第一審原告の監督に服するが、他の分野については直ちにその監督に服することなく、しかも、第一審原告には、小宮山崇之に対し、雇用選任の権限がないものと認めるのが相当であり、かかる右両名双方の身分関係からして考えると、小宮山崇之に右の如き過失があつたからといつて、それがすなわち第一審原告側の過失にあたるというを得ないものと解するのを相当とする。仮りに、小宮山崇之、第一審原告間の右の身分関係の故に、第一審原告に小宮山崇之に対する雇用選任権がないからといつて、直ちに同人の過失が第一審原告側の過失にあたらないというを得な、いものとしても、右の身分関係にある場合、小宮山崇之の過失が第一審原告側の過失となるといい得るがためには、その過失が小宮山崇之の前記業務に関するものたることを要するものと解すべきところ、同人の前記過失がその業務に関するものであつたことを認めるべき証拠がないから、右の身分関係にもかかわらず、小宮山崇之の前記過失がとりもなおさず第一審原告側の過失となるとはいい得ないものと解さなければならない。また、本件事故発生にいたるまでの小宮山崇之並びに第一審原告の動静は、前認定のとおりであつて、小宮山崇之の前記過失が第一審原告の所為によるものであることの認められない右の事実関係のもとにおいては、小宮山崇之の前記過失がすなわち第一審原告側の過失であるといい得ないし、他に小宮山崇之の右の過失が第一審原告側の過失となることを認めしめるべき証拠は存しない。

そうすると、本件当事者間において、小宮山崇之の前記過失を第一審原告側の過失であるとして相殺するに由なきものといわなければならないから、第一審被告の右主張は採用できない。

(三)  そうすると、本件事故による第一審原告の前記受傷については、高橋功三のみならず、第一審原告自身にもまた過失があつたものというべきであつて、前認定の本件事故発生前後の一切の事情を斟酌し、双方の過失の程度を比較考量すると、第一審原告の過失の程度は、高橋功三のそれに比べて軽度であるものと認めるのが相当であり、前記損害額合計七三二、八〇七円は、その三分の二弱に相当する金四八万円に減額するのを相当とする。

四、つぎに、精神上の損害額について判断する。

第一審原告が、本件交通事故によつてこうむつた前認定の傷害により、相当の精神的苦痛を受けたことは、もとより当然のことといわなければならない。

ところで、第一審被告は、第一審原告が受給した労働者災害補償保険法(以下単に労災法という。)にもとづく障害補償金は、被災者の財産上の損害のみならず、その精神上の苦痛をも填補するものであるから、すでに右の如き給付がなされた以上、もはや第一審被告にはその賠償義務はないと主張する。そして、第一審原告が昭和三四年五月下旬労災法にもとづく障害補償費として金八六、九二一円の支給を受けたことは、さきに認定したとおりである。しかし、労働者災害補償保険制度は、業務上の事由による労働者の負傷、疾病、廃疾または死亡に対する労働基準法(以下単に労基法という。)所定の障害補償義務につき、事業主に保険料を負担させ、国が事業主に代わり履行して、災害補償請求権を迅速かつ公正に確保するとともに、一方事業主の経済的負担をも軽減しようとする制度であるから、労災法による保険給付は、その実質において、労基法第七七条にいうところの障害補償となんら異るところはなく、その保険給付額は画一的に法定されていて、これは、労働者またはその遺族に対し、その労働力の回復または生計維持をはかるために、積極的および消極的の財産上の損害を填補しようとするものであつて、その精神上の苦痛を慰藉することまでをも目的とするものではなく、したがつて、労働者またはその遺族が労災法による保険給付を全額受給した場合においても、その中には慰藉料は包含されていないのであつて、右のほかさらに慰藉料の支払を認めても、別段受給者に二重の損害の填補を得させこれを利得せしめるという不合理は生じないのであるから、第一審原告が右の如く労災法による障害補償金を受給したからといつて、第一審被告に対し不法行為による損害の賠償として慰藉料の支払を請求し得ないものとなすことはできないものというべきであり、しかも、右の如く、その障害補償金の額が財産上の損害額にも満たない本件においては、第一審原告は、右の障害補償金受給にかかわりなく、第一審被告に対して本件慰藉料の支払を請求し得るものというべきであるから、第一審被告の主張は採用できない。

しこうして、第一審原告が、明治四三年東京工手学校採鉱冶金科を卒業し、昭和一三年日本道路舗装株式会社に就職し、昭和二一年同社(後に会社の商号は、日本道路株式会社と変更された。)仙台営業所長となり、昭和二六年同社を停年退職すると同時に同社技術嘱託となり、工事主任として現場監督の任に当つていたことは、当事者間に争いがなく、原審並びに当審における第一審原告本人尋問の結果によると、第一審原告は、現在その妻と借家に二人暮しで、不動産その他のさしたる財産はなく、妻が右の借家に学生の下宿人をおいていくばくかの収入を得ているほか、福島大学理学部教師で別居中の長男およびいずれも他家に嫁いでいる娘二名から生活費の援助を受けて生計をたてていること、第一審原告は、現在でも、なお、耳鳴がし、頭痛、腰痛を覚え、時には杖に頼らなければならないほど歩行困難の場合があつて、昭和三六年二月から同年七月までの間、約一〇回にわたつて、東北労災病院で静脈注射の治療を受けたのであるが、もともとこれといつた趣味はなく、もつぱら自己の仕事に喜びを見出してきた生活であつただけに、本件事故にもとづく傷害によりその仕事を奪われて、精神的な拠り所を失つていることをそれぞれ認めることができ、この事実に前認定の第一審原告の受傷の経過、傷害の程度、傷害による入院、通院その他の治療日数並びに休業日数、傷害の症状の推移、年齢、残存就労可能年数および高橋功三並びに第一審原告の本件事故発生についての各過失の程度その他一切の事情を斟酌すると、第一審原告の本件交通事故にもとづく傷害による精神上の苦痛を慰藉すべき額は、金一二万円と認めるのを相当とする。

五、してみると、第一審被告は、第一審原告に対し、前記三、四の合計額金六〇万円(計算上明白である。)およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和三四年二月九日から支払済にいたるまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものというべく、第一審原告の本訴請求は、第一審被告に対して右の金員の支払を求める限度においては、正当であるから、これを認容すべきであるが、その余の請求は失当としてこれを棄却すべく、これと同趣旨の原判決は相当であつて、第一審原告並びに第一審被告の本件各控訴はいずれも理由がないから、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条にしたがい、主文のとおり判決する。

(裁判官 鳥羽久五郎、羽染徳次、桑原宗朝)

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